ゴンジャ

芸能 ゴシップ

嫉妬深き尼将軍!北条政子、激しい嫉妬が原因で夫・源頼朝の愛人の家を襲撃

嫉妬深き尼将軍!北条政子、激しい嫉妬が原因で夫・源頼朝の愛人の家を襲撃

北条政子といえば源頼朝の妻であり、頼朝の死後は幕府の実権を握って「尼将軍」と呼ばれるほどの権力を得た女傑です。

北条政子

彼女の人生も破天荒そのもので、頼朝との関係も禁断の恋を強引に成就させたものでした。話は1159年(平治元年)に発生した平治の乱にまで遡ります。

この争乱では、平清盛率いる平氏側の猛攻により、敵対する源氏はなすすべがありませんでした。政子の父である北条時政はこのとき、平氏側についており、源義朝の三男・源頼朝を領地に幽閉。そこで頼朝と出会った政子は、なんと、頼朝の子を妊娠してしまいます。

娘が敵方の武将の子どもを妊娠すること自体、これは北条氏にとって最悪のスキャンダルです。父・時政は政子を他家に嫁がせ、この関係すらなかったことにしようと目論みますが、政子は他家との婚礼の晩に逃亡。頼朝の元へと駆け込みました。

一方、頼朝は政子をかくまい、とうとう挙兵して平氏を倒して鎌倉幕府を開いたのでした。

政略結婚が常識の時代に尋常ではない行動力で恋愛結婚を成就した政子でしたが、頼朝に対する愛情が強かった分、妻となったのちもその情勢は衰えません。

 

当時は、多くの側室を持ち、子を増やすことが常識の時代。ところが、政子は頼朝が他の女性を愛する度に激しい嫉妬をあらわにしたそうです。

特に、有名なエピソードとして政子の頼家出産の際のエピソードが伝わっています。

(伝)源頼朝像

出産のために頼朝の元を離れていた政子でしたが、その際、頼朝は「亀の前」という女性を小坪(こつぼ=現在の神奈川県逗子市)にある小忠太光家という家臣の家に住まわせて、そこに毎日通うようなっていたそうです。

出産後に、この話を義母(時政の後妻)の牧の方(まきのかた)から聞かされた政子は、牧の方の父である牧宗親(まきむねちか)に命じて伏見広綱の屋敷を襲撃させ、建物を破壊し尽くしたのです。

これを知った頼朝は実行犯の牧宗親を厳しく罰しますが、時政の後妻の父親であったことから、今度は時政が激怒。これを機に源氏と北条氏の仲が悪化してしまったのだとか…。そしてとうとう政子の嫉妬から起きた夫婦喧嘩が幕府を揺るがす騒動に発展していったのです…。

お家を揺るがす壮大な夫婦喧嘩。世の男性もくれぐれもお気をつけください。

参 考

渡辺 保 『人物叢書新装版 北条政子』 (1985 吉川弘文館) 関 幸彦 『北条政子:母が嘆きは浅からぬことに候』 (2004 ミネルヴァ書房) 跡部 蛮『「わきまえない女」だった北条政子』(2021 双葉社)

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

参照元:https://dailynewsonline.jp/