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綾小路きみまろ、71歳元気の秘訣「コロナ禍の過ごし方」「こんなお客さんに困った」初笑いインタビュー

画像はイメージです
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 中高年の悲哀をネタにした毒舌漫談で一世を風靡した綾小路きみまろ。コロナ禍によるステージの中止などで、一時は窮地に追い込まれたが、紆余曲折を経て完全復活! 今回は、そんな“中高年のアイドル”に、生涯現役の秘訣を聞いた。令和4年を明るく笑って過ごすには?

*   *

ーーコロナ禍で、何か変化はありましたか?

綾小路 テレビではなく舞台がメインなので、仕事が激減しました。私だけでなく、スタッフの仕事までなくなったのはつらかった。感染が落ち着いて、舞台に立てるようになっても、客席の1列目を空けて、お客さんはマスク着用。中にはフェイスシールドをつけてた人も。笑い声も上がらないので、客席がずいぶん遠く感じましたね。

ーーやりづらくなったんですね?

綾小路 はい。演芸はお客様とのキャッチボールなので、呼吸を合わせないと成り立たないんです。顔が見えないと、お客様の心が読めないので、とても大変です。そもそも、マスクで顔の下半分が隠れると、オジサンもオバサンも区別がつきません(笑)。耳についているイヤリングを見て、やっと「女性なんだ」と気づくくらい。今では笑い話ですが、当時は精神的に参ってしまいました。

ーー舞台以外は、何をされていたんですか?

綾小路 令和2年2月の宮古島でのライブを最後に、富士山のふもとで、畑仕事に精を出していました。実は、40代の頃にスローライフに憧がれて、山梨に家を建てたんです。忙しくて全然、行けてなかったので、コロナ禍を“休憩のタイミング”と捉え、その土地に本格的な農園を作ることにしました。

ーーなぜ、畑仕事を?

綾小路 もともと、鹿児島の農家の生まれなんです。おまけに土地も持っていた。そんな私に時間ができたら、“農家”になるしかないでしょう(笑)。今やマイクを鍬に持ち替えて、ナスやカボチャを、せっせと作っています。

■畑で“農耕接触”を!

ーー芸能生活とは、だいぶ違いますよね?

綾小路 気持ちの切り替えは、簡単ではありませんでしたね。これまで通りの生活ができない苦しみは、皆様と同じです。けど、コロナの濃厚接触を怖がるくらいなら、畑で“農耕接触”してみたくなった(笑)。こんな冗談も、今だから言えるんですよ。当時は、そんなことを口走っただけで不謹慎と怒られたものです。

ーー21年6月には、ご自身のユーチューブチャンネルを開設。農作業の様子を配信されていますね。

綾小路 ユーチューブなら作りたい番組を自由に作れると聞いて、挑戦しました。やってみて分かったんですが、意外に難しい。どうすれば私の番組を知ってもらえるか、試行錯誤です。

ーーまさに、ゼロからのスタートを切られた?

綾小路 我々の世代は、インターネットにうとくて当たり前です。インスタグラムと聞いても、「なに、100グラム?」なんて答えちゃうほど(笑)。そんな同世代の皆様に番組を見てもらうには、どうすればいいか、四苦八苦しています。この苦労は、下積み時代に通じますね。

ーーなるほど。では、下積み時代の思い出は?

綾小路 高校生の頃から、テレビでいつも見ていた司会者の玉置宏さんに憧れましてね。父親に餞別の1万円をもらって、「頑張ってこい」と東京へ送り出されたのが、芸能生活の第一歩でした。上京してからキャバレーのボーイのバイトを始め、その店で司会を務めるチャンスをいただき、漫談家への道が開けます。ただ、ブレイクまで30年間も“潜伏”するなんて思ってもみませんでしたよ(笑)。

 

参照元https://dailynewsonline.jp/