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元“おもろい夫婦”さんまとしのぶに運命の数字があった

明石家さんま
明石家さんま

 元夫婦という関係になっても世間からうらやましがられる芸能人に、明石家さんま大竹しのぶがいる。2人はドラマ「男女7人夏物語」(TBS系/86年)の初共演を機に親しくなり、88年9月に電撃入籍。知人の誰かが週刊誌にリークしたことで、予定より3カ月早い発表となり、まさに“電撃”と呼ぶにふさわしかった。さんまは初婚で、大竹は再婚だった。

 大竹の初婚の相手は、TBSのドラマディレクターだった服部晴治さん(故人)。新進気鋭の女優として未来を嘱望されていた大竹の結婚に、周囲は猛反対だった。服部氏は、17歳も年上の当時42歳。過去に2度の婚姻があった。しかし、大竹は25歳のとき、大反対を押し切ってゴールイン。新婚生活が1年に及ばないころ、服部氏のガンが発覚。のちに、大竹の妊娠が判明した。

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 産休後、女優として復帰。「男女7人夏物語」でさんまと親しくなったときは、服部氏との3人でテニスを楽しんだこともあるほど、家族ぐるみの仲だった。続編となる「男女7人秋物語」(TBS系)のクランクイン前、服部氏は闘病中。病床からさんまに、「秋から僕がしのぶと遊んであげられない分、しのぶを楽しませてあげてください」という旨の手紙を送っている。

 「しのぶさんが長男の二千翔(にちか)さんを出産したのは、27歳のとき。そのおよそ3年後(87年)、服部さんが天国へ旅立ちました。さんまさんと夫婦になったのは、その翌年。前夫と死別して短いスパンの再婚に、しのぶさんに“魔性の女”というイメージがつき、バッシングされました。それでも強行的にゴールインした理由は、お腹に新たな命が宿っていたからです」(古参の芸能ジャーナリスト)

 さんまとの間にできた子どもは、のちに流産。退院後、その事実を隠したまま結婚記者会見を開いている。
 89年、さんまにとって待望の第一子となる長女のいまるが誕生。痛ましい体験を経たあとの我が子とあって、「生きてるだけで丸もうけ」が命名の由来。いまるは現在、「IMALU」の名でタレント活動している。

 新婚わずか1年で2人の子どものパパとなったさんまは、二千翔といまるに「ボス」と呼ばせた。生粋の子ども好きとあって子煩悩になり、「芸風が変わった」「面白くなくなった」と芸人評価を一気に下げたが、仕事より家庭優先を貫いた。2人の子どもの頭をなでるのが日課だったが、順番は必ず長男からと決めていた。先の芸能ジャーナリストが続ける。

 「夫婦はのちに、運命的な4人家族だったことに気がつきます。IMALUさんは“1”、二千翔さんは“2”、さんまさんは“3”、しのぶさんは“4”。数字が並んでいたのです。IMALUさんも1を狙って付けたわけではないので、まさに奇縁のゴールデンファミリーだったといえるでしょう」

 さんまの座右の銘といえる「生きてるだけで丸もうけ」が歌詞に入った楽曲「笑顔のまんま」は08年7月、「FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!」(フジテレビ系)の深夜のトーク企画「さんま・中居の今夜も眠れない」で、さんまから無茶ぶりされたBEGINが、番組放送時間内に作詞・作曲して完成。のちに「BEGIN with アホナスターズ」の歌唱名義でリリースされ、吉本興業主催の「沖縄国際映画祭」のテーマソングとしても浸透している。

 さんまが大竹と離婚して31年が経過したが、元家族4人は誕生日になると集まって、SNSで写真を公開。日本イチおもろい元夫婦のまんまを届けている。

参照元:https://dailynewsonline.jp/