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推定IQ250~300。世界で最も優れた頭脳を持った男性の悲しい物語

推定IQ250~300。世界で最も優れた頭脳を持った男性の悲しい物語
推定IQ250~300。世界で最も優れた頭脳を持った男性の悲しい物語

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 世界を変えるような天才たちのIQ(知能指数)は総じて高いと言われている。アインシュタインは160、アイザック・ニュートンは190だ。だが、IQの高い人すべてが有名なわけではない。

 ウィリアム・ジェームズ・サイディスは、IQが250~300あったと言われ、世界一優秀な頭脳をもつ人間ともてはやされいたが、その人生は悲しいものだった。

・英才教育で幼少期から能力を開花させたウィリアム
 1898年4月、ウィリアム・ジェイムズ・サイディズはボストンで生まれた。父親のボリスはハーバード大学で4つの学位をもつ心理学博士、母親のサラは、ボリスの個人レッスンにより医学部に合格、医学博士となった。

 ボリスとサラはウィリアムが誕生すると、英才教育を施した。ウィリアムもその期待を裏切らなかった。

 わずか生後18ヶ月でニューヨークタイムズを読み、6歳のときには英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、ヘブライ語トルコ語アルメニア語を話すことができ、8歳で独自の言語ヴェンダーグッド語を発明した。

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・11歳でハーバード大学に入学、16歳で博士号を取得
 ウィリアムは8歳の時、数学の力でボリスを追い越し、ハーバード大学の入試に合格したが、幼すぎるという理由で入学はできず、11歳でようやく入学が許可された。ハーバード入学者の中では史上最年少だった。

 数学と天文に長けていて、ハーバードの数学クラブで教授たちの前で四次元体に関する講義を行い高く評価され、16歳で優秀な成績で学士号を取得した。
 正式に計測されたことはないが、計量心理学者エイブラハム・スターリングは、ウィリアムの知能指数を250から300と測定した。

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・まわりが放っておかない。天才故の悩み
 ウィリアムの人生は誰もが羨むようなものだったが、彼自身は幸せではなかった。天才になるべくした環境に生まれついたのは確かだが、本人の心はずっと置き去りにされたままだったからだ。

 16歳でハーバードを卒業したとき、本人は語っている。
僕は完璧な人生を送りたい。それには、誰にも会わず、ひきこもった生活をするしかありません。昔からずっと人間嫌いでした
 また、一生結婚する気はない。女性は自分にとって魅力的な対象ではないからとも語っていた。

 1914年、ウィリアムは16歳で、テキサス州ヒューストンのライス大学の数学教授に就任する。だが、自分よりも年上のレベルの低い学生たちを指導する日々に疲れ、1年もたずに辞職した。

 1916年9月、18歳でハーバード大学ロースクールに入学したが、成績優秀だったにも関わらず、「精神的に満たされない」という理由で1919年3月に中退している。

 1919年、社会主義者無神論者、ソビエト政治の支持者だったウィリアムは、メーデーの反徴兵パレードに参加したことで逮捕される。懲役18ヶ月の実刑を言い渡されたが、両親の奔走で収監は免れた。だが両親が所有する別荘に彼を1年間幽閉した。

 1921年、ボストンに戻った彼は、まわりから注目されない人生を送るために、低賃金の事務仕事をすることにこだわった。

 1923年10月24日、ウィリアムに極端な早期英才教育を施した父親のボリスが亡くなったが、彼は決して父親を許そうとせず、葬儀にも参列しなかった。
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The Sad Story Of The Smartest Man In History | Bizarre Channel・心が満たされないままその生涯を閉じる
 1924年、ひっそりと生きてきた彼に再び世間の目が向けられた。当時26歳のウィリアムが”週給”23ドルの仕事をしているのが世間に知られ、天才の面影もないと嘲笑の的になったのだ。

 だが実際にはウィリアムは天才のままだ。偽の名前で貴重な本を何十冊も書き続けていたのだから。

 ウィリアムがずっと天才だったのは確かだが、IQは高くてもEQ(心の知能指数)を育むことができなかったようだ。彼は何も成し遂げることもできなかった。

 1944年7月、ボストンの小さなアパートで、ウィリアムは脳卒中のため亡くなった。享年46歳だった。
 

参照元https://dailynewsonline.jp/