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大谷翔平&鈴木誠也「メジャーリーグで躍動」「初対決は高1の夏」1994年生まれの天才「神ってる」同級生スター伝説

画像はイメージです
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 エンゼルス大谷翔平カブス鈴木誠也。ともに誕生は1994年。同い年の27歳スターが、海の向こうで躍動中だ。

「開幕2週目でいきなり週間MVPにも選ばれるなど、鈴木誠也の存在感は大谷とも遜色ない。ナ・リーグ新人王、オールスターへの選出はもちろん、大谷との年間MVPダブル受賞を期待する声も上がっています」(スポーツ紙MLB担当)

 そこで今回は、“神ってる”活躍を続ける、日本人2大スターの軌跡と素顔をプレイバックしていこう。

 まず、同学年の2人が初対決を果たしたのは、高1の夏だった。東北で組まれた練習試合で、二松学舎大付の鈴木は、花巻東の投手大谷から左中間へ抜ける二塁打を打っている。

「その頃は、鈴木も投手との“二刀流”。同校を現在も率いる市原勝人監督は、“(大谷の球を)まともに当てることができたのは誠也だけだった”とも語っています」(スポーツライター

 知名度は大谷が上だったが、その野球センスはすでに評判だった鈴木。そんな彼を語るうえで欠かせないキーワードが“家族愛”だ。

「自宅に練習場を手作りした父・宗人さんとの二人三脚は有名です。もともと親子そろって熱烈な巨人ファンで、地元が荒川区町屋だったこともあり、彼が11歳のときには“リアル巨人の星”として、『アド街ック天国』(テレビ東京系)に取り上げられました」(前同)

 親子の“絆”の強さを示すエピソードは他にもある。証言してくれたのは、大の鯉党芸人としても活躍するお笑いコンビ、『ザ・ギース』の尾関高文氏だ。

「プロ入り直後は、毎日のように電話をしていたようで、息子の声が少しでもおかしいと感じたら、お父さんが2軍練習場のある由宇まで駆けつけたらしいです」

 その関係は、1軍のレギュラーになっても続いた。

「お父さんと話すたび、“3割打てなかったら、死ぬ”と漏らしていたそうです」(前同)

■ストイックさの裏にある愛嬌

 実際、鈴木は「10割打ちたい」と常々、公言。主力選手になっても、室内練習場から最後に出てくるのは決まって鈴木だったという。

「打撃投手の方から“投げていて恐怖を感じたのは前田智徳さん以来”と聞きました。プロ入り時の打撃コーチだった緒方孝市さんも、“あいつは凡退すると人を殺すような目になる”と言ってましたね」(同)

 ただ、ストイックさと、茶目っ気たっぷりの一面が同居するのが、ファンから愛される彼の魅力なのだ。

「当時コーチだった石井琢朗さんに“備えあれば、何だ?”と聞かれて、“準備なし!”と即答するなど、野球を一歩離れると、すごくピュアで、かわいい(笑)」(同)

 持ち前の人懐っこさは、野間(峻祥)や堂林(翔太)といった先輩選手にも発揮された。ある日の堂林宅では、こんなことがあったとか。

「これは奧さんの枡田絵理奈さんから聞いたんですが、彼女が帰宅したら、ふだんから入り浸っていた鈴木選手が、堂林選手の膝枕で寝ていたとか。その光景に“仲いいのはいいけど、それは、さすがにどうなの?”と呆れたらしいです」(同)

 鈴木の堂林愛は深く、「一時は堂林家の家族写真にも普通に映り込んだり」(同)していたそうだ。

 打席に立つ前には、球場のビジョンで映される選手紹介の映像で、変顔や変なポーズを披露するなど、茶目っ気たっぷりの鈴木。はにかみ屋の大谷とは性格がまるで好対照にも思えるが、共通点も数多い。

参照元:https://dailynewsonline.jp/